労働の対価の受け取り方法

novel

『Phantom』 羽田圭介

価格という数値と、自分にとっての価値と、自分の価値

【あらすじ】

アラサー年収200万円台、職場も同じ似た境遇の恋人同士。華美(はなみ)は米国株式を保有し、将来儲け続けるためのシステムを構築している。彼氏の直幸(なおゆき)は”スエさん”の有料会員になり会員限定動画や勉強会へのめりこんでいる。スエさんのムラではお金だけではなくシンライも使うことができるという。会員費はお金での支払いだが、お金での売買に対する疑念という一見矛盾したお金に関する価値観を持つ人々の集まりらしい。ひとりひとりが異なる価値観を持ちつつ、グループの中にいる。

【推しフレーズ】

自分だけが発見したと思った市場の歪みや抜け穴も、気づいた華美が行動に移ろうとする時点ですでに、”自分たち”により正され、儲ける余地をなくされてしまう。

特別でありたい願いとマジョリティでいたい思い

世界中どこにいても、いつでも、誰でも、簡単に情報にアクセスできるようになった便利さの弱点のひとつかもしれない。自分ができることは誰もができる環境にいるということ。だから自分“だけ”とかほとんどなくて、自分“たち”に変わっているという話。特別でありたいと願うし、特別であると信じたい思いはわかる。そして、何らかの形で、証拠のように残したいと願う。一番わかりやすいのが成果なのだと思う。数値で見る事ができる投資はその成果がわかりやすい。酷なのは、それさえも多くの人が考えること、つまり自分”たち”の話であるということ。

極論だが、自分”だけ”は出来ないのかもしれない。「個」が重視される世の中になったとはいえ、私たち人間の脳は「共生」の時代でプログラミングされていると聞く。人間の本能、行動を知りたければ、村単位で生活していた狩猟時代を思い浮かべると早いという話。その時代は集合体への所属・離脱は生死にかかわる問題であった。今もその血は受け継いでいるのだろう。特別でありたい、人々より抜け出したい願いと同時に、周囲と同じでありたい、浮きたくないという矛盾した思いがあると考える。

使わない金は死んでいるし、金を使わないと死ぬ。

生きているお金とは

使わないお金は死んでいるという考えは投資を学んだときに逆説的に知った。このとき学んだのは「お金にも働いてもらう」という考え。死んでいるお金⇔生きているお金という感覚。

お金は使って初めて価値を持つ。ただしその使い道は人それぞれであり、価値あるものの定義もまた人それぞれとなる。使うとは、現時点でモノやサービスと引き換えるだけでなく、貯金や投資も人によっては”使う”もしくは”買う”になる。”投資”はよく「お金に働いてもらう」という表現をするとおり、保有資産や知識などを増やすために動く。大雑把に枠組みを捉えるとすると、投資とは遠近関わらず未来を見据えた行動、と考えている。大雑把に枠組みを捉えるとすると、投資とは遠近関わらず未来を見据えた行動、と考えている。タイミングを将来にずらしているイメージ。また、株などを購入することもあるため”使っている感覚”はあるかもしれない。”貯金”は「安心を買っている」という考え方を知り、その新たな発見は強く記憶に残っている。多くの人にとって貯金がある状態とない状態とでは心の持ちよう、気持ちの余裕が異なると思う。購入も投資も貯金も、モノの見方や考え方によっては価値を伴うが、どの行為も目的や意志がなければ死んだ金となるのだろう。

朽ちてゆく肉体は所詮、経験を得るための道具にすぎない。その年齢でしかできない経験をひとつひとつ拾っていきながら、朽ちてゆきたい。

作る美しさと朽ちていく美しさの両面は最強説

肉体を道具(ツール)という考え方は初めての出会い。エイジングケアという言葉もある。「-5歳」や「-10歳」と言った若返り文句の広告はよく見る。多くの人が欲しがる若さ。若さが保つ肉体は自分がその最中にいるときには気づけない貴重さは確かにある。ケアやトレーニングなどの努力による若さは美しさがある。ただ、経験を得て朽ちていった肉体もまた、違った美しさがあると思う。現在に目を向けて、その時々の自分を受け入れている自然体の輝きがあるように思えてならない。

経験を得ていった先にある美しさは、経験あってこそのもの。だから、経験をある程度重ねなければ出せない味や美しさがある。ならば、私はどちらも手にする。努力も経験のひとつだ。年を取ることで得られるものが増えていくという前向きな考えを教えてもらったからこそ、目指せる自分だけの美しさを目指す。

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