僕”が”ではなく、僕”を”動かす

novel

『線は、僕を描く』砥上裕將 

当たり前のように続けられることが才能であり、素直さは才能を伸ばす薬

【あらすじ】

主人公の大学生の青山霜介。友人に頼まれた展示会準備のバイトで、1人の老人に出会う。感想を求められるから、そのまま感じたことを率直に言葉にする。一緒に展示品を見て回った老人は、はかの有名な湖山先生。弟子にすると言われ、湖山先生の孫の千瑛から1年後の湖山賞をかけた勝負を挑まれ、突然水墨画の世界へと足を踏み入れることになる。湖山先生をはじめ、内弟子や他流派の先生方と交流し、教えをもらいながら紙と墨で表す絵に魅了されていく。

静かに、でも確かに、水面下で動き続ける感情の機微を現した作品。水墨画の作品や水墨画と向き合う姿に、この情緒を反映させている。タイトルの「線」は主語であり、目的語であっては色を失くす。そして、「描く」対象が「僕」であることも意味がある。見つけた人だけが見える、知ってる人だけがわかる、あたりまえだけど忘れがちなことを、空間として描く。

【推しフレーズ】

何も知らないってことがどれくらい大きな力になるのか、君はまだ気づいていないんだよ

無知の表裏、良い面を捉えた言葉

「無知」にも良し悪しが存在する。この作品では”よい面”として切り取られている。無知であることを認識していると素直である、そのようなメッセージが隠れていると感じた。確かに無知は怖いものだと思う。知らないがゆえに失敗したり、動けなかったり、騙されたりする。「知っていれば…」と悔いたことは、誰もが経験済みだろう。かく言う私も数知れず。はて無知がもたらしたものはこれらばかりかというと、それも違う。いいこともあった。教えをきっかけに仲を深められたり、助けてもらったことで憧れや目指す姿をみつけられたり、失敗に対する謝罪を思いの外すんなり受け入れてもらったり。振り返るとどの時もまっすぐだった。

今いる場所から、想像もつかない場所にたどり着くためには、とにかく歩き出さなければならない。自分の視野や想像の外側にある場所にたどり着くためには、歩き出して、何度も立ち止まって考えて、進み続けなければならない。

始める、進む、そして止まる

歩き出さなければ始まらない。進み続けなければならない。始めることと続けることは想像よりも難しい。だからこそこの2つは耳にすることが多い。ただそこで終わらないのがおもしろいと思う。”何度も立ち止まって考えて”いいという。むしろそうするべきとも受け取れる。PDCAサイクルを文章で表すと、こうなるのかなと思う。歩き出して(始めて)、上手くいっても躓いても、立ち止まって考えて(次に活かすために整理や軌道修正をして)、進み続ける(知識や技術を蓄積する)。

どんなに失敗してもいい。失敗することだって当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

失敗をプラスに考えられる人になりたい

こう言える人になりたい、そして、あり続けたい。純粋に、そう思う。ただ条件はある。自分を含めた誰かをひどく傷つけないこと。限度はあれど迷惑はかけてもいいと個人的には思う。実際に私もたくさんの人に迷惑をかけていると思う。負担をかけすぎないようにしたいから迷惑をかけている自覚を持つというか、意識を向けるようにしている。自分の持ってる力を最大限に発揮するには、縮こまる要因を減らせばいい。だが、現実には難しい。失敗したら怒られる恐怖、周りの人に必要以上に迷惑をかける恐怖、ほかにも様々な不安が自分を取り巻く。人を動かす感情要因のひとつは恐怖だという。そして選択をしないことで責任を回避し、安全域に身を置くのも人の習性と考えられている。失敗しても安全だと思える環境を整えることが必要だと思うから、そういう場所をつくれる人になりたい。一時の失敗を変えて失敗を上書きできるような人になりたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました