『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』 汐見夏衛
強くて優しい彼と儚い恋が、私を包み込んで放してくれない
学校も家も、先生も母親も同級生も、何だかイライラする。中学生の百合は、母と喧嘩し家出をする。一夜を明かそうと防空壕の跡地に潜り込み、目を覚まし外に出ると戦時中の日本だった。特攻隊員だという彰に拾われ、食堂をいとなむツルに救われる。食堂を手伝いながら、特攻隊員や近所の人々と交流しながら、戦時中の生活を送る。周りの人々の温かさや優しさ、会話から感じる今と変わらない姿に安堵する一方で、戦争の結末を知る現代人の百合だからこそ戦争やそれを取り巻く思想・環境にやるせなさと怒りを覚える。生まれた時代の穏やかな幸せと恵まれた生活、それを作ってくれた過去の人の想いを知って、時に感情的になりながらも、必死にこの来てしまった世界で生きる。愛する人の広くて深い優しさに触れながら、強く懸命に生きる。
その手に触れていると、私の心はまるで優しい繭の中で守られているかのように安らぎ、落ち着いていく。(略)彰が傍にいてくれたら、怖がりで泣き虫な私の心は、きっともっと強くなれる。
安心感が強さを引き出す
手を触れた時、触れてもらった時に、まるでエネルギーが流れてくるかのように力をくれる存在に出会えたことが羨ましいと思う。安心感を与えてくれる人は、どんな環境にいようと、どんな関係性であろうと貴重だと思う。「この人のために」と思える時は強くいられる気がする。安心感に包まれた時、心に余裕ができ、目の前のことに向き合うことができる。気になるという雑念が消えるような感覚。そのような環境で本来持つ力以上の力を発揮することができるから強くなれる人は多くいると思う。ただ、そういう環境を見つけること、作り出すことがはるかに難しい。強がりは弱さを隠すための一時的な防御による攻撃だが、体の内側から湧いてくる強さは攻撃に見せかけた持続的な防御なのだと思う。ちなみに強さで連想するかもしれない暴力的な強さは前者にあたる。強さと優しさは一見対極的なところにありそうだが、たしかに共存している。それは安らぎや落ち着きの後ろに強さが隠れているからなのかもしれない。
”繭の中”という表現が綺麗だった。幼虫を成虫へと育てるまでの環境、シェルター(避難所)と表現することもあるくらい安全な場所なのだろう。百合にとって彰は心身ともに守ってくれるシェルターであり、自分を成長させてくれる場所で会ったのかもしれない。
お前は、生きて守れ。『お前は』、生きて守れ。『俺は』……死んで、守るから。
守るために、必要なものは何なのか
誰かを守りたいと願った時、決意をした時、今の時代だったら何が選択肢に上がるのだろうか。少なくと「守るために死を選ぶ」という流れにはならないだろう。戦中の「御国のためなら、何でもやる」というスローガンには、命をも惜しまないという意味が含まれているという。自分の命を捧げても、国を家族を、愛する人を守る。本書に登場する特攻隊員は20前後の青年たち。今の時代では、成人しているとはいえ、半数近くがまだ学生で家族や学校に守られた立場にある人の方が多い。まだまだこれからの人たちと認識される。おおよそ80年前では、まだ20数年しか生きていない彼らは生死の選択を迫られた。歴史としてしか認知できないが、国を守るために死を選ぶと生物としての死があり、生きることを選べば裏切り者として少なくとも終わりの分からない戦時中は社会的な死となったのではないだろうかと思う。そんな重くて残酷ともいえる選択を行い、自分の決意を胸に「守る」と口にした彼の思いはどんなものだったのが、想像できない。
……ああ、私は、こんなにも愛されていたんだ。(略)こんなにも深く、静かに、私のことを愛してくれていた。
愛する行為は受け取る側の能力が大切となる
愛するという行為はうまく伝わらないことも多い。行為者よりも受け取る側の能力が高いか、もしくは両社の相性がピッタリ合う、そうでなければ成立せず行き場がなくなる、高度な行動のひとつだと思う。だからこそ、行為者が愛した瞬間ではなく、行為の受け手が愛されていることを実感した瞬間に大きく心が揺さぶられる。”深く、静かに”愛した彼はとても優しい。自分が傍にいられないことを知っていて、彼女がひとりでもいられるように。ただ、彼女には愛を受けとる才能がちゃんとあった。そこが凄いと思う。あるものに目を向けることで充足感を得ることができる。それを知ることができる人は、足るを知るという言葉にあるように、あるを見つけることができる人だと私は思う。
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