『男ともだち』 千早茜
“男ともだち”、浮気にも不倫にもならないが、その関係性も響きもなんかズルい
神名葵はアート作品の展示に寛容なお店が多い京都で、恋人と同棲中。愛人もいる。フリーのイラストレーターで、家と職場の境がない彼女と定職をもつ彰人とはすれ違いの生活。会えば気を遣うため避けているところもある、おそらく彼もそれは同じ。愛人の真司さんとは会いたいとき、会えるときだけ逢瀬を交わす関係。そんな日々の中で、突然割り込んできた電話。大学の先輩ハセオからの連絡だった。大学時代は気楽な関係でよく彼の部屋に入り浸っていた。何かにつけて慰めてももらっていた。女の影が絶えないハセオと、誘いを断らない神名だがシタことは一度もない。ずっと“ともだち”だったが、大学卒業以来途切れていたハセオとの交流が再び動き出す。どんなに変わっても変わらないものを教えてくれる。
解説で「みんなくず」と言われる登場人物ばかり。欲望のままのようで人間、というか大人の仮面をかぶったヒトという感じ。実際に近くにいたら好奇心ありつつ、毛嫌いしそうだけど、物語の世界では最高に面白い。
相手に合わせて、したいことをせずに我慢するのが偉いのだろうか。
偉いわけではない、ただ難しいが正直な感想
我慢することが偉いわけではない。したいことをできる、したいと声をあげられることが羨ましく、自分の外に出る時に嫉妬や妬みへと変換するからしたいことをしている人を非難する言い方になる。集団でスムーズに物事を運ぶにはしなければいけないことがあり、したいことだけではなりたたず裏では我慢している人がいる、そう思ってしまう。いや、そう思いたい。私がしたいこと口に出したり行動したりするのに引けを感じるから。「みんながしたいことをする」のは理想論に聞こえるのも同じで、無理だと思っているから。ただ、婉曲表現の言葉を使う時点で少し迷いを感じる。自分はそれでいいと思っているけど、誰かに否定してほしいという思い。したいことをしているから常識を逸しているように見えて、どっちもどっちで世間の目に縛られているのだと思った。羨ましいが妬みに変わるほど、自分のしたいことに正直でまっすぐで必死に生きている感じが滲み出ている。
なんにもないんなら、一回、全部なくしたらええんやって。残ったもんにしがみつくな
得るよりも捨てるほうが難しい
なくしたらいいは言うのは簡単でも、実行は難しいと思う。だからこの言葉を言えるハセオはとても強くて凄い。なくなることは怖い。それはものでも人でも同じだと思う。いつかと考えてしまうし、情がうつったり罪悪感を感じたり、私もかつて「捨てられない人」だったから捨てる難しさや気持ちはわかる。たとえ壊れていても、掃除するまで持っていることを忘れていても危険がなければ残していた。さらにひどいのはお菓子。レアな形と言われていたお菓子もジップロックに入れて保存していた。賞味期限はとうに過ぎていても捨てられずにいた。買うときのハードルは値段や持ち運びといった事実ベース、捨てる時は手放しに感じる感情ベース。心理学でも所有物には高い価値をつけると言われている。価値あるものを持っていたという心理が働くらしい。
他にも得るよりも捨てるほうが難しいと言われているものがある。「知識」と「お金」。人間は忘れる生き物だが、忘れるものを取捨選択できるわけではない。そればかりか忘れたいことほど忘れられない。知識を蓄えるのはたいへんだが、それ以上に忘れるほうが大変だという。お金も同じ、稼ぐのはたしかに大変だが、使うほうが難しく、上手/下手がわかれるという。お金を手にしても、使い方に問題があり破綻する人も多い、という表現のほうが伝えやすいかもしれない。お金持ちは、お金を稼ぐのが上手な人ではなく、お金の使い方が上手な人と表現している人もいるくらいだ。
「ねえ、ハセオにとっての愛情ってなに?」
(略)
ハセオは数秒目をさまよわせて、それから私をまっすぐ見た。
「見ててやることかな」
愛情もピースのひとつ、与える側と受ける側の思う形がはまらないとすれ違う
「そこにいてくれる」ことを愛だと思っている。一番難しいことだとも思っている。だからこそ「見ててやることかな」というハセオの言葉には心が動かされた。周りの人やSNSで「何をしてもらったか」を競うように話す姿ばかりが目に映っていたから、同じ考えを持つ人を見つけた嬉しさもある。
かつて「あなたのためなら何でもする。行きたいとこ連れていくし、欲しいものあったら買う、旅行行く関係になったら荷物全部持つ」と言われたときに感じたのは違和感だった。その後、「介助」という言葉を見つけてこれだと思ったのが正直な感想。でも、これを愛情とする人もいるし、愛情と捉えることもできると知ったのは最近のこと。愛情の形はいくつかあるらしい。価値観は金銭感覚や生活スタイル、居心地の良さを感じる空間や環境などがあるが、愛情の形や感じ方もそこに含まれ、人間関係で重要視すべき問題だと思う。与える側は愛情を与えても愛情として受け取ってもらえなければ悲しいし、受ける側はしてもらっていても愛と認識できないから何もされていないと思い寂しくなる。
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